●緊急招集!! 旧街道散策「秋月街道T Ver.2」/H20.05.11(日)


五月晴れの休日をマッタリと過ごしていた午前10時、携帯が鳴りました。デングリ氏からです。
  「北Q組、緊急招集・・・・」
  「えっ?」
  「ふぁ〜さんと、6日に行けんかった『金辺峠攻め』に行くことになったけ、東に12時集合ね。」
  「東に12時?」
  「あっ、お昼はグルメるので、適当に空かしてきてね。」
  「は、はいっ。」

5月6日(休)に、前日の夜会&7時集合による寝不足の中、CT乗りさん、デングリ氏、ふぁ〜さんの3人で小倉〜秋月までを「秋月街道T」として散策した際、パスした「金辺峠攻め」を「Ver.2」として、今日の午後に決行するらしい。

GW後半、前日の土曜とカブに乗らずにいたので、家内からもアッサリOKが出て、
  「じゃ、17時には・・・・」っと、出発しました。
今回の緊急招集に集まるのは、DAXさん、デングリ氏、ふぁ〜さん、しばやんの4人。

左:DAXさんの仕事の電話中にふぁ〜さん到着      右:「あっ。」/DAX号のネタ提供に感謝


左:緊急招集に集まった4台                 右:デングリ氏のシートは既に夏仕様・・・・


とりあえず、お昼を食べにデングリ氏おススメのお蕎麦屋さんへ直行/カブで3分で到着
入り口に「本日のそば 福井県丸岡産/石臼碾き自家製粉手打ち十割そば」と説明書きがありました。
お達者4人が入ったときは、空いていましたが10分も経つと満席となりました。

手打ち十割そば「愛蕎(あいきょう)」


お達者4人揃って「もりそば三昧」を注文/セット内容は、左:もりそば、中:そば粥、右:ミニそばがき


最後に蕎麦湯が出てきて、お出汁もキレイにいただきました。
そういえば帝都で働いていた頃、先輩とそば屋で飲むこともあり、焼酎の蕎麦湯割りって飲んでたっけ。
懐かしい風情の商店街で、2軒隣には銭湯があります。/残念ながら、今日は定休日でした。

左:最近少なくなった銭湯/日曜定休でした       右:商店街を抜け、河内貯水池へ向かいます


気候も良く、空いている道では、ついつい右手に力が・・・・。
でも、すぐにサンデーペースカーに行く手を阻まれ、残念モードとなります。
気持ちを切り替えるためか、先頭のデングリ氏が突然「南河内橋」にバイクを手押しで渡って行きます。

左:自然にペースが上がります               右:南河内橋は「人」&「自転車」専用


左:この時期、ツツジが満開ですね。            右:見上げるとモミジ?/秋が楽しみですね。


橋から下を覗くと、あ〜ら、・・・・/柵を越えて捨てるには重かったろうに、一声掛けてくれれば・・・・違うか

左:えっ? カブ? いえメイト? バーディー?      右:こちらはスクーター


再出発して、県道62・61号線で国道322号線に出て、先日散策した秋月街道をトレースします。
先日は幾度も停車して地図を確認して進んだため、時間がかかったようですが、今日はスイスイ細い路地に入り込んでいきます。
DAXさんと私は初めてなので新鮮です。

旧街道散策は、あんなところやら、こんなところを通ります


国道322号線の下をくぐって立ち寄ったのは、呼野の「お糸池」
到着するなり、ふぁ〜さんから由来等の旧街道散策豆知識によるガイドが始まりました。
  ほ〜っ、そうなんや。



左:池にある小島からお達者3人を臨むの図       右:堤の上から国道322号線とカブ達を望むの図


左:国道下の放置農機/顔に見えるよね         右:桜の木には、もうサクランボが・・・・


さっこの先は、本日のメインイベントいよいよ「金辺峠攻め」です。
6日は入り口がよく分からず、やむなく先に進んだようですが、今回はリサーチ十分。
工場の脇からジャリ道を登り、「旧金辺トンネル/金邊隧道」に到着。

左:前回行く手を阻んだ行き止まり/でも大丈夫     右:旧金辺トンネル/金邊隧道


先日の雨のせいか、トンネル内は水溜りができています。 まさか水没? 
でも、「行くっきゃないっしょ。」で、構わず進むお達者です。
実際、そんなに深くありませんでしたが、レッグシールドがあってよかった。


トンネルを抜け、急な坂をぐるっと上り詰めると・・・・・ 峠の頂上?に到着。
カブを停めて近くを散策します。


ふぁ〜さんが指差す先を見上げると、あんな所に企救郡と田川郡郡境の石碑が立っています。
なんも、そんな所に立てなくても、ねぇ。


傍らの石段を登ると、「金辺観音堂」があり、中には厳かな「観音様」が祀ってありました。


ここで、ふぁ〜さんの旧街道散策豆知識

  その昔「金辺峠/きべとうげ」は「木辺峠」と書いていたが、近くで金鉱が発見されたことから、「木」が
  「金」に変わったと言われている。
  また、観音様は本来金無垢だったが、細川忠利公が香春藩から熊本藩に国替えの際に持って行った
  ところ、ある夜、夢枕に観音様が立ち、「姿は肥後にあれど、魂は金辺峠にある。金辺に帰りたいから
  木像でも良いので作ってくれ。」と告げ、忠利公は木造で金箔貼りの観音様を作って安置したと言われ
  ている。

  「ほぉ〜、そうかね。 あんた、よぅ知っとぉねぇ〜。」

ふぁ〜さんの豆知識に感心して、カブの所に戻ってくると・・・・

左:DAXさん、どっから登ったん?              右:峠攻めを終え、こんな道を下っていきます。


んでもって、またまた、あんなところや、こんなところを通ります。


次に立ち寄ったのが、「香春神社」

左:最初、正面の山に登るのかと期待していた・・・   右:スケール感を出すため斜めで撮影/デカイ


左:境内にある「山王石」/には、「昭和14年6月30日山頂より落石」とありました。/スゲェ
右:デングリ氏のリアボックスの取付部が気になる ふぁ〜さん/同型ボックスを購入したらしい


左:香春町にあった看板/赤玉ポートワインとか赤玉スイートワインなら知っとぉけど・・・・
右:この時、田植えが進んでいますね。


  ※無知の証明
    ↑の「白玉ホワイトワイン」「白玉焼酎」をネットで調べると、歴とした歴史がありました。
    兵庫県明石市の「江井ヶ嶋酒造」が大正時代にそれぞれを製造発売していました。

さて、旧街道をトレースして、田川市に入りました。
っと、旧街道散策ではお約束の「進入禁止」のお出ましです。
暫らく手押しで進んでいくと、デングリ氏が地元の方との交流を始めました。

  「あんたら、沢山のバイクで何しよるとね?」
  「秋月街道を散策しているんです。」
  「ほ〜う。 ちゃんと押して歩いて、見かけによらず、マジメやねぇ。」
  「それはそうと、近くに甘味処か、お菓子屋さんって、ありませんか?」
  「あぁ、その先の商店街に、『さかえ屋』があるよ。 おいしいよ。」
  「それって、ウチの近くのスーパーにもあるチェーン店やん。 そっ、そうですか、ありがとうございます。」



進入禁止を抜けたと思いきや、すぐに「本町銀天街」に捕まってしまいました。
また、カブを押して歩きます。/ふぁ〜さん、がんばって


銀天街を抜け、カブで少し走ると、デングリ氏が発見した小高い山で休憩することになりました。

休憩してると、時計は16時5分。 「げっ、1時間で帰らんといけんやん。」
17時には帰ると言って出たしばやんは、残念ながらここで戦線離脱。

それに対し、お達者3人は、
  「さっ、もうひとグルメか温泉に入って、『帰らんやったらよかった。』っち、思わせんといけんね。」
と、やさしい言葉をいただき、帰路に着きました。

左:「丸山公園」から、眺望を楽しむお達者
右:帰路、中間市役所前の「こいのぼり」が1組、夕暮れ迫る五月空を名残惜しそうに泳いでいました。


強い向かい風の中、時計を睨みつつ単騎の機動性&原付2種の性能を発揮し、17時2分に帰着。
  「2分オーバーか。まっ、許容の範囲内やろ。」っと、思っていたところ・・・・
  「おいっ、カーポートに車ないやん。」/しっかも、玄関には鍵がかかっとーし。
家内に携帯で連絡したところ・・・・
  「えっ、もう帰ったと? てっきり遅くなるかと思って買い物に出たところ。 あと1時間位で戻るね。」
  「1時間でって、・・・・ そんなんやったら、もうひとグルメ・・・・」


    私が戦線離脱した後の「ふぁ〜レポート」が届きましたので、下欄に掲載します。


今回の走行距離/139km

今回の走行軌跡/下の地図をクリックするとGoogleMapが展開



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あっ、どーもー、ふぁ〜です。
6日に続いて、レポートします。

しばやんが帰った後、「しばやんのためにも近くで、もうひとグルメ」と検索してたけど見つからず、結局、先程通り過ぎた「田川市石炭・歴史博物館」に行くことにしました。

途中コースアウトした街道筋を探索します。地元の方からは、・・・・
  「何で、カブが地元民しか知らないような路地を?」という感じの注目を受けながら、
  「ふむふむ、なるほど〜」と、風情を楽しむことに快感さえ覚える今日この頃です。

2本の煙突と赤い竪坑櫓が目印の博物館に到着、入場料(210円)を払って炭坑の勉強です。
炭坑節に歌われる
  「あんま〜り、煙突が〜高いので、さぞやお月さん煙たかろ♪」の煙突がコレだったんですね・・・・
知らなかったです。



北九州は、石炭積出港の若松、主な利用用途で製鉄所などありますが、あまり炭坑というのは馴染みがありません。
吾輩は生活の中で石炭が燃えているのを見たことがありませんし、現役のSLが走っていという記憶すらない高年式のお達者ですので、「ほぉー。」、「へぇー。」とか唸りながら館内を興味深く見学させてもらいました。

一方、DAXさんは、現役のSLが何車両も走るのを見たそうで、廃止される時は写真撮りに行ったもんだと、遠く香春岳を眺めながらしみじみと語るという、筋金入りのお達者です。

館外にも昔の炭坑住宅を再現した建物があります。
明治から昭和まで時代を追って、住宅環境が良くなっているのですが・・・・
  「ここに何人の家族が同居したのか?」と思うと、これまた凄い時代だったのだと実感。


3人並んで歩きながら、
  「輸入石炭の単価が3倍になった。」とか、
  「北海道で石炭採掘が再開された。」とか、
  「結局あのデカイ煙突の用途は? 発電では?」など、お達者トークは続きました。

 ※正解:明治時代の坑内動力は蒸気機関だったので、あの煙突はボイラーの煙突ですね。
      電力化された後は、公共施設や炭鉱住宅の風呂焚きに利用されていましたとさ。/ふぁ〜豆知識

ここで吾輩は、今日が「母の日」だったことを思い出し、一足お先に帰宅の途について、罪滅ぼしのケーキを買って帰りました。/証拠写真撮り忘れ・・・・


以上、その後の「ふぁ〜レポート」でした。



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